2011年10月31日月曜日

2011 ASP Women's World Champio

Carissa Moore wins 2011 World Champion
Carissa Moore, Roxy Pro Gold Coast, May, 2011

 2011ASP Women’s World Tourのツアーチャンピオンはカリッサ・ムーア(19歳)が史上最年少で獲得した。ビラボーン・リオ(5月)、ロキシー・ゴールドコースト(5月)、コモンウエルスバンク・ビーチリークラシック(2月)で優勝し、最終戦の86日ナイキUSオープンではサリー・フィッツギボンズが優勝したが、総合ポイントで上回った。
ムーアは1992年ハワイ生まれで、World Tour参戦(2010年〜)2年目でチャンプの座を獲得した。すでに2010年のWorld Tourでも2回勝利しており、2010年のNike US Open of Surfingでも優勝しているから、2011年のチャンプはほぼ確実視されていた。
2位のサリー・フィッツギボンズ(20歳)は1990年オーストラリア生まれ。ツアー最終戦を兼ねた20118月のNike US Open of Surfingでは優勝したが、獲得ポイントでムーアに及ばなかった。
2010年、2011年もランキング2位で、まだチャンピオン経験はない。
女子World Tourはますます若返りが顕著になってきた。コートニー・コンローグ(1996年生: 2009 US Open 2位)、レイキー・ピーターソン(1994年生:2011 US Open 2位)はいずれも1516歳である。男子はまだまだヴェテランが頑張っているが、女子は本格的なトゥィーンズ時代に突入した。この背景にはスケートボードは男子中心の環境が進行してしまったが、サーフィンは全米にスクールが普及し、女子と男子のインフラ整備でハンディキャップがほとんどないという環境がある。
男子ASP World Tour は終盤に入って、11月のリップカール・サンフランシスコ、12月のビラボーン・ハワイを残すだけになった。10月時点でケリー・スレイターが大きくリードしているから、彼の優勝は動かないと思うが、優勝すれば2010年に続いて2連覇、10回目となる。

2011年10月28日金曜日

US Women's Surfer Updated

2011 East Coast Wahine
2011 East Coast Wahine Championship, Wrightsville Beach, NC

15回イーストコースト・ワヒネ・チャンピオンシップ(ECWC)が820-21日の2日間、ライツビルビーチ(ノースカロライナ州)で開催された。コンテストはショートボード、ロングボード、ボディボード、ノービスの3部門で、約200人が出場した。ECWCはアマチュアのウイメンズサーファー対象のコンテストで、全米で最大規模、最も有名なコンテストである。
ECWCは1997年にスタートした女性だけのアマチュアサーフィンコンテストで、最年少のノービス(初心者)は10歳以下、最高齢のゴッデスクラスは40歳以上が対象になっている。小さい子では5歳くらいの女の子から、最高齢だと65歳くらいまで幅があるから、まるで孫とおばあちゃんほどの年齢差になる。毎年8月のライツビルビーチは大人から子供まで、ワヒネ達が全米から、最近は全世界からもやってくるようになった。
ECWCが開催されるライツビーチはアメリカで最も有名なビギナー・サーフスポットで、初心者からコーチしてくれるサーフィンスクールもハワイと並んで多い。ビーチのあるウイルミントン市のUNCW(ノースカロライナ大学ウイルミントン校)は、「全米サーフスクールBest 10」に選ばれているほどである。

Big culture gap of Jap-US Surfing Style
Beach Wahines and Dudes, California Beach
日本のサーフ社会は大衆的な広がりがないから、サーフィン情報はごく少数のマニアック・サーファー対象になっている。ほとんどのサーフィンマガジンもASP関連の、それもワールドツアー中心情報で占められている。セレブ・ファッションの世界でパリス・ヒルトンやニコル・リッチー達が、カルト的な人気を集めたのとほとんど同じ現象が日本のサーファーの間で起こっているのである。
そういう特殊(ニッチ)なサーフィンスタイルは、アメリカではもう過去の時代になった。グロメット(年少サーファー)からヴェテランまで、ノービスからゴッデスサーファーまで、アメリカでは誰でもサーフィンが楽しめる時代が始まっている。
我々は「Broadway Bomb」(1017日掲載)と「Go Skateboarding Day」(1019日掲載)で、スケートボードのメインストリームにオープンストリートのプッシュレースが躍進したことをお伝えした。サーフィンの世界でも同じことが起こっているのである。

2011年10月19日水曜日

Go Skateboarding Day Los Angeles 2011

Go Skateboarding Day
Go Skateboarding Day Los Angeles 2011
Go Skateboarding Day Los Angeles 2011」が621日(火曜日)、ロサンゼルスのダウンタウンで開催された。1,000人を超えるスケートボーダーが参加して、午後1時にダウンタウンのホーレンベック・スケートプラザからラファイエット・パークまでの5マイルをデモンストレーションした。主催者側は歩道でスケーティングするように要望したと言っているが、実際には5マイルのほとんどは、全員車道をスケーティングした。
LAPDLos Angeles Police Department)はイベントをバイクとモーターサイクル乗車警官でモニターした。LAPD発表の参加者は300人で、主催者発表とは大きな開きがある。特別なトラブルはなく、LAPD警備責任者は、スケートボーダーのマナーは悪くはなかったといっている。
Go Skateboarding Day」はもともとIASC International Association Skateboard Companies)が制定したイベントで、いわばスケートボードのマラソン大会イベントである。日本では公道をスケートボーディングに解放するイベントは聞いたことが無いが、アメリカではほとんどの自治体が受け入れつつある。

Have fun, Go Skateboarding
Go Skateboarding Day Los Angeles 2011
アメリカは90年代後半からスケートパークがウエストコーストから普及し始めた。現在ではスケートパークは全米の各都市に普及しているから、スケートボーディングは日常的なスポーツになっている。日本の感覚で比較すると、中・高校生のマラソンというイメージである。
我々はスケートボード市場が日本でも今後拡大すると考えているが、日本のスポーツメーカーは、アメリカでスケートボードが大人のジョギング以上に普及しているとはなかなか理解できないようだ。1017日に掲載した「Broadway Bomb」は、ニューヨークでは知らない人はいないくらい有名なイベントで、全米のスケートボーダーあこがれのプッシュレースである。しかし、日本ではスケーターでも知っている人はまずいない。日本のアクションスポーツビジネスは、まるで情報鎖国状態である。日本のブランドメーカーや小売りチェーンの情報収集力では、新しい世代の市場にはほとんど対応できない。もっと新市場開拓のための情報収集にどん欲になるべきである。

2011年10月17日月曜日

Broadway Bomb 2011


Push Race in the Traffic
Broadway Bomb 2011, Poster 

Broadway Bomb 2011」が108日(土曜日)、ニューヨークで開催された。今年は850人が参加した。同レースはアメリカ最大のプッシュレースで、年に一回、10月の土曜日に交通量の多いブロードウエイで開催されてきた。コースは116丁目のリバーサイドパークを正午にスタートし、ウォールストリートのブル(牛)スタチューまでの8.5マイルである。
Skateboarder of Broadway Bomb 2011, New York

レースはアッパーウエストからダウンタウンのウォールストリートまで全コース公道、しかも交通規制は無い。ブロードウエイは土曜日でも交通量はかなりヘビーだから、主催者側もスローガンで死ぬかもしれない(You Could Die)と言ってるくらいだ。交通量の多い交差点などには誘導員を配置して事故が発生しないように自主規制しているが、危険率はけっして低くはない。トップグループは30分以内でゴールする。
スケートボーディングは、1995年にESPN-2X-Gameを番組用にショーアップしてから、バートランプがメインストリームになった。現在でもイベントの大半はバートランプだが、2000年以降はストリート・スケートボーディングも再び脚光を浴びてきた。
Broadway Bombはストリート・スケートボーディングがエキサイティングなプッシュレースに成長する過程で、最も大きな貢献を果たしたレースの一つである。ニューヨークはマラソンでも、世界最大のイベントシティに変身した実績を持っている。こんどはスケートボーディングでも、ニューヨークが世界の中心になる可能性が高くなってきた。

2011年10月14日金曜日

Metro Action Sports


Saturdays Surf
31 Crosby Street, New York
Saturdays Surf, SOHO New York

サーフィンの不毛地帯と言われてきたニューヨークにも、サーフムーブメントが押し寄せ始めた。949日ニューヨークで開催されたQuiksilver Pro New YorkASP World Tour)のインパクトもあって、ニューヨークのサーフィンシーンは変化にはずみがついてきた。
ASP(主催側)とクイックシルバーが狙っていたのは、ニューヨークをハンチントンビーチのようなプレミアムイベントシティに育成することだった。その目的はポジティブな反応を得ている。競合メーカーのビラボーン、ナイキ、リップカールにとっても、不毛地帯のニューヨークが豊かなサーフィン市場に成長するのに異存はない。
サーフィンがアウトローの遊びだった時代は90年代で終わった。サーフィンビジネスがニッチだった時代は00年代に終了している。サーフィンはエクストリーからメインストリームにテイクオフする時代に入った。そこで最新のニューヨークアクションシーンの代表的ストアを取り上げて、新しいメトロ・アクションスポーツスタイルを発信します。第1回目はメトロサーフスタイルの典型ショップに成長してきた「Saturdays Surf」をお届けします。

Saturdays Surf Style
Saturdays Surf, SOHO New York

Saturdays SurfSOHOにオープンしたのは20098月だった。オーナーはモーガン・コレット、ジョッシュ・ローセン、コリン・タンストールの3人である。
彼らは自分たちの店を「Saturdays Surf Shop Coffee Bar」と呼ぶ。その時彼らの脳裏には「Sports Bar」や「MLB Bar」が浮かんでいるに違いない。Saturdays Surfはハンチントンビーチ(カリフォルニア州)にあるようなハードコアのサーフショップではない。スポーツバーで酒を飲みながらフットボールやベースボールを観戦するように、ビーチシーンを思い浮かべながら、コーヒーを飲むところである。テキーラやビールはハードコアのサーフショップには馴染んでも、Saturdays Surfには相応しくない。
2011FWコレクションはサーフウエアからメンズウエアへのシフトが濃厚に現れた。ボードやウエットスーツのようなイキップメントプロダクトだけでなく、スリムフィットのセーターや、ショールカラーの「Baracuda」風アウターウエア、グルーミングプロダクトも取り込まれている。
彼らにはもともとメンズウエアとしてのサーフウエアというスタンスがあった。彼らが目指しているのは、ビーチでリフレッシュした男達というターゲットイメージなのである。Saturdays Surfはビーチスタイルのメンズショップである。日本にはそういうサーフショップはほとんど存在しない。

2011年10月7日金曜日

A Tribute to Steve Jobs



Great tribute to one of the most incredible people of the world.

アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長(56歳)が10月5日、死去した。偉大な経営者、アーチスト、マーケッターにトリビュートを捧げ、彼が我々に遺してくれたマーケティングに関わる教訓を3つお届けします。
1の教訓は「American Sports Style」に示しました。第2の教訓はブログ「Action Sports Style」に、第3の教訓は「Monday Night Sports Club」に掲載していますのでご覧下さい。

Apple Store : Degital Boutique

スティーブ・ジョブズはプロダクト開発で、天才的なプロデューサー能力を発揮した。しかし販売面でも、IT産業の経営者の誰も考えつかなかった斬新な手法を開発した。それまでコンピューター販売で最も成功したビジネスモデルは、デルが確立したインターネット利用のウエッブ販売だった。ところがジョブズは2001年に「アップルストア」を開発し、ルイ・ヴィトンやアルマーニみたいにコンピューターをブティックで売り始めたのである。
出店ロケーションもビジネス街や郊外のモールではなく、ニューヨ−クはソーホーと五番街、さらにはMPDMeat Packing District)で販売した。ロサンゼルスでは最新型のライフスタイセンター「The Grove」に出店した。シカゴはノースミシガン・アベニュー、テキサス州オースチンはバートン・クリーク・モールに出店した。海外第1号店はロンドンのウエストエンドで、日本は2004年に銀座にオープンした。
PCを店頭で販売するアイディアは別に目新しいものではない。ラジオシャックだってやっているし、ウエッブ販売トップの「デル」だって、モールキヨスクを展開している。ソニーもコンピュータ販売ではモールフォーマットを展開した。PC専業のゲートウエイも、アップルを意識してモールフォーマットを多数展開している。しかし、どの企業もアップルのような成功を収めることができなかった。
アップルと他のPC販売企業の違いはインテリアや、ディスカウント方式、製品モデルの性能やデザインにあるのではない。アップルが他社と決定的に違うのは、コンピューターをTシャツのように売ったことにある。iPodsは購入客にとって、グッチやディオールのアクセサリーより、もっとファッショナブルなアクセサリーと受け止められたのである。

Genius Bar and Resident Technician

アップルショップ成功の要因の一つは、「Genius Bar」(相談カウンター)の存在だった。そこには「Geneuses」と呼ばれるレジデントテクニシャン(駐在技術者)がいる。彼等はジーニアス・バーにスタンバイしていて、アップルに関することには何でも答えることができる。
レジデントテクニシャンはアップルの潜在客、コアカスタマーのいずれにも対応して、PCに全く初心者でも顧客に育成する役割を担っている。通常アメリカのPC販売店では、PC販売時点でアフターサービス契約として50ドル前後の費用を徴収する。アップルも最近では同様のシステムを採用しているが、当初の「Geniuses」は相談しても無料だった。「Geniuses」は、アップルにとってはサービスマンではなく、スポークスマンなのである。デルやゲートウエイが、サービスをコストと考えているのに対して、アップルはサービスをプロモーションと考えているところが決定的に違った。