2011年12月29日木曜日

Supreme New York


Supreme London Store open
Supreme London Store
サプリーム(本社:ニューヨーク、ジェイムズ・ジェッビア/オーナー)は922日、ヨーロッパ初のストアをロンドンのSOHO*にオープンした。これまでNYLA、東京(5店)にストアを展開していたが、ヨーロッパは初めての進出である。ストアのオーナーはマークゴンザレスで、インテリアはゴンザレスが担当した。ゴンザレスはスケートボーダーだが、アーチストとしても評価が高い。
出店地はSOHOのやや西よりで、表通りから少し距離を置いた裏通りである。ジェッビア(オーナー)は繁華街から一筋裏に入った通りが好みで、ニューヨークの本店も大通り(ブロ−ドウエイ)の裏側(ラファイエットストリート)に出店している。しかも、近くの繁華街はごみごみしていても、ハイブローな地域がベターだと常日頃から言っている。
ジェッビアがスチューシーと共同で1984年に「Stussy」をスタートしたときも、2人はサーフカルチャーを売ったのであって、サーファーにサーフィンウエアを売ったのではなかった。
じっさいにジェッビアはスケートボ−ディングにはド素人だったし、むしろ彼が興味を持っていたのはグラフィックデザインやコスチュームデザインだった。サプリームがイーストコーストに止まらず、グローバル市場で独自のストリートスタイルを確立できたのは、多くのスケートボードブランドのように、スケートボーダーをメインターゲットに選ばなかったからなのである。
*Address : 2/3 Peter Street W1F 0AA

2011年12月14日水曜日

Supreme : Skating is the culture

Timberland x Supreme Euro Hiker Pack
Timberland x Seprem, Euro Hiker Collaboration Model Black
サプリーム(本店:ニューヨーク)は128日、ティンバーランド(本社:ニューハンプシャー州ストラッサム、ジェフリーB.シュウォーツ社長兼CEO)とのコラボレーションモデルを発売した。日本市場は10日に発売された。ベースモデルはユーロハイカーで、アッパーはしっとりした光沢のあるホーウィン・レザー仕立てになっている。シューカラーとタンはパッド入りで、アウトソールのサイド部分には補強のラバーテープを巻いている。カラーは4色で、2種のシューレースが付いている。発売はニューヨーク店、ロサンゼルス店、ロンドン店が128日、日本は10日に発売した。
Timberland x Seprem, Euro Hiker Collaboration Model 
サプリームは2006年にもティンバーランドとコラボレーションしているが、その時はフィールドブーツをベースにしたコラボモデルを発売している。今回のモデルは90年代初期マンハッタンのインナーシティ感覚を現代風に表現するために、ユーロハイカーをフルレザーブーツにアレンジしたと言っている。
この手法はALIFE00年代はじめにさんざん使った手法で、すでに斬新さはない。ハイキングブーツスタイルは1年前に終わっているトレンドで、90年代にエネルギッシュな感覚を表現するには無理がある。サプリームはティンバーランド以外にヴァンズ、ナイキなどとコラボレーションしているが、キッチュなイメージのトリミングを常に付加するなどして、インナーシティ感覚を維持してきた。しかもそれが、アフリカンアメリカンスタイルではなく、コーケイジアン風になっているのがサプリーム最大の特徴だった。

2011年10月31日月曜日

2011 ASP Women's World Champio

Carissa Moore wins 2011 World Champion
Carissa Moore, Roxy Pro Gold Coast, May, 2011

 2011ASP Women’s World Tourのツアーチャンピオンはカリッサ・ムーア(19歳)が史上最年少で獲得した。ビラボーン・リオ(5月)、ロキシー・ゴールドコースト(5月)、コモンウエルスバンク・ビーチリークラシック(2月)で優勝し、最終戦の86日ナイキUSオープンではサリー・フィッツギボンズが優勝したが、総合ポイントで上回った。
ムーアは1992年ハワイ生まれで、World Tour参戦(2010年〜)2年目でチャンプの座を獲得した。すでに2010年のWorld Tourでも2回勝利しており、2010年のNike US Open of Surfingでも優勝しているから、2011年のチャンプはほぼ確実視されていた。
2位のサリー・フィッツギボンズ(20歳)は1990年オーストラリア生まれ。ツアー最終戦を兼ねた20118月のNike US Open of Surfingでは優勝したが、獲得ポイントでムーアに及ばなかった。
2010年、2011年もランキング2位で、まだチャンピオン経験はない。
女子World Tourはますます若返りが顕著になってきた。コートニー・コンローグ(1996年生: 2009 US Open 2位)、レイキー・ピーターソン(1994年生:2011 US Open 2位)はいずれも1516歳である。男子はまだまだヴェテランが頑張っているが、女子は本格的なトゥィーンズ時代に突入した。この背景にはスケートボードは男子中心の環境が進行してしまったが、サーフィンは全米にスクールが普及し、女子と男子のインフラ整備でハンディキャップがほとんどないという環境がある。
男子ASP World Tour は終盤に入って、11月のリップカール・サンフランシスコ、12月のビラボーン・ハワイを残すだけになった。10月時点でケリー・スレイターが大きくリードしているから、彼の優勝は動かないと思うが、優勝すれば2010年に続いて2連覇、10回目となる。

2011年10月28日金曜日

US Women's Surfer Updated

2011 East Coast Wahine
2011 East Coast Wahine Championship, Wrightsville Beach, NC

15回イーストコースト・ワヒネ・チャンピオンシップ(ECWC)が820-21日の2日間、ライツビルビーチ(ノースカロライナ州)で開催された。コンテストはショートボード、ロングボード、ボディボード、ノービスの3部門で、約200人が出場した。ECWCはアマチュアのウイメンズサーファー対象のコンテストで、全米で最大規模、最も有名なコンテストである。
ECWCは1997年にスタートした女性だけのアマチュアサーフィンコンテストで、最年少のノービス(初心者)は10歳以下、最高齢のゴッデスクラスは40歳以上が対象になっている。小さい子では5歳くらいの女の子から、最高齢だと65歳くらいまで幅があるから、まるで孫とおばあちゃんほどの年齢差になる。毎年8月のライツビルビーチは大人から子供まで、ワヒネ達が全米から、最近は全世界からもやってくるようになった。
ECWCが開催されるライツビーチはアメリカで最も有名なビギナー・サーフスポットで、初心者からコーチしてくれるサーフィンスクールもハワイと並んで多い。ビーチのあるウイルミントン市のUNCW(ノースカロライナ大学ウイルミントン校)は、「全米サーフスクールBest 10」に選ばれているほどである。

Big culture gap of Jap-US Surfing Style
Beach Wahines and Dudes, California Beach
日本のサーフ社会は大衆的な広がりがないから、サーフィン情報はごく少数のマニアック・サーファー対象になっている。ほとんどのサーフィンマガジンもASP関連の、それもワールドツアー中心情報で占められている。セレブ・ファッションの世界でパリス・ヒルトンやニコル・リッチー達が、カルト的な人気を集めたのとほとんど同じ現象が日本のサーファーの間で起こっているのである。
そういう特殊(ニッチ)なサーフィンスタイルは、アメリカではもう過去の時代になった。グロメット(年少サーファー)からヴェテランまで、ノービスからゴッデスサーファーまで、アメリカでは誰でもサーフィンが楽しめる時代が始まっている。
我々は「Broadway Bomb」(1017日掲載)と「Go Skateboarding Day」(1019日掲載)で、スケートボードのメインストリームにオープンストリートのプッシュレースが躍進したことをお伝えした。サーフィンの世界でも同じことが起こっているのである。

2011年10月19日水曜日

Go Skateboarding Day Los Angeles 2011

Go Skateboarding Day
Go Skateboarding Day Los Angeles 2011
Go Skateboarding Day Los Angeles 2011」が621日(火曜日)、ロサンゼルスのダウンタウンで開催された。1,000人を超えるスケートボーダーが参加して、午後1時にダウンタウンのホーレンベック・スケートプラザからラファイエット・パークまでの5マイルをデモンストレーションした。主催者側は歩道でスケーティングするように要望したと言っているが、実際には5マイルのほとんどは、全員車道をスケーティングした。
LAPDLos Angeles Police Department)はイベントをバイクとモーターサイクル乗車警官でモニターした。LAPD発表の参加者は300人で、主催者発表とは大きな開きがある。特別なトラブルはなく、LAPD警備責任者は、スケートボーダーのマナーは悪くはなかったといっている。
Go Skateboarding Day」はもともとIASC International Association Skateboard Companies)が制定したイベントで、いわばスケートボードのマラソン大会イベントである。日本では公道をスケートボーディングに解放するイベントは聞いたことが無いが、アメリカではほとんどの自治体が受け入れつつある。

Have fun, Go Skateboarding
Go Skateboarding Day Los Angeles 2011
アメリカは90年代後半からスケートパークがウエストコーストから普及し始めた。現在ではスケートパークは全米の各都市に普及しているから、スケートボーディングは日常的なスポーツになっている。日本の感覚で比較すると、中・高校生のマラソンというイメージである。
我々はスケートボード市場が日本でも今後拡大すると考えているが、日本のスポーツメーカーは、アメリカでスケートボードが大人のジョギング以上に普及しているとはなかなか理解できないようだ。1017日に掲載した「Broadway Bomb」は、ニューヨークでは知らない人はいないくらい有名なイベントで、全米のスケートボーダーあこがれのプッシュレースである。しかし、日本ではスケーターでも知っている人はまずいない。日本のアクションスポーツビジネスは、まるで情報鎖国状態である。日本のブランドメーカーや小売りチェーンの情報収集力では、新しい世代の市場にはほとんど対応できない。もっと新市場開拓のための情報収集にどん欲になるべきである。

2011年10月17日月曜日

Broadway Bomb 2011


Push Race in the Traffic
Broadway Bomb 2011, Poster 

Broadway Bomb 2011」が108日(土曜日)、ニューヨークで開催された。今年は850人が参加した。同レースはアメリカ最大のプッシュレースで、年に一回、10月の土曜日に交通量の多いブロードウエイで開催されてきた。コースは116丁目のリバーサイドパークを正午にスタートし、ウォールストリートのブル(牛)スタチューまでの8.5マイルである。
Skateboarder of Broadway Bomb 2011, New York

レースはアッパーウエストからダウンタウンのウォールストリートまで全コース公道、しかも交通規制は無い。ブロードウエイは土曜日でも交通量はかなりヘビーだから、主催者側もスローガンで死ぬかもしれない(You Could Die)と言ってるくらいだ。交通量の多い交差点などには誘導員を配置して事故が発生しないように自主規制しているが、危険率はけっして低くはない。トップグループは30分以内でゴールする。
スケートボーディングは、1995年にESPN-2X-Gameを番組用にショーアップしてから、バートランプがメインストリームになった。現在でもイベントの大半はバートランプだが、2000年以降はストリート・スケートボーディングも再び脚光を浴びてきた。
Broadway Bombはストリート・スケートボーディングがエキサイティングなプッシュレースに成長する過程で、最も大きな貢献を果たしたレースの一つである。ニューヨークはマラソンでも、世界最大のイベントシティに変身した実績を持っている。こんどはスケートボーディングでも、ニューヨークが世界の中心になる可能性が高くなってきた。

2011年10月14日金曜日

Metro Action Sports


Saturdays Surf
31 Crosby Street, New York
Saturdays Surf, SOHO New York

サーフィンの不毛地帯と言われてきたニューヨークにも、サーフムーブメントが押し寄せ始めた。949日ニューヨークで開催されたQuiksilver Pro New YorkASP World Tour)のインパクトもあって、ニューヨークのサーフィンシーンは変化にはずみがついてきた。
ASP(主催側)とクイックシルバーが狙っていたのは、ニューヨークをハンチントンビーチのようなプレミアムイベントシティに育成することだった。その目的はポジティブな反応を得ている。競合メーカーのビラボーン、ナイキ、リップカールにとっても、不毛地帯のニューヨークが豊かなサーフィン市場に成長するのに異存はない。
サーフィンがアウトローの遊びだった時代は90年代で終わった。サーフィンビジネスがニッチだった時代は00年代に終了している。サーフィンはエクストリーからメインストリームにテイクオフする時代に入った。そこで最新のニューヨークアクションシーンの代表的ストアを取り上げて、新しいメトロ・アクションスポーツスタイルを発信します。第1回目はメトロサーフスタイルの典型ショップに成長してきた「Saturdays Surf」をお届けします。

Saturdays Surf Style
Saturdays Surf, SOHO New York

Saturdays SurfSOHOにオープンしたのは20098月だった。オーナーはモーガン・コレット、ジョッシュ・ローセン、コリン・タンストールの3人である。
彼らは自分たちの店を「Saturdays Surf Shop Coffee Bar」と呼ぶ。その時彼らの脳裏には「Sports Bar」や「MLB Bar」が浮かんでいるに違いない。Saturdays Surfはハンチントンビーチ(カリフォルニア州)にあるようなハードコアのサーフショップではない。スポーツバーで酒を飲みながらフットボールやベースボールを観戦するように、ビーチシーンを思い浮かべながら、コーヒーを飲むところである。テキーラやビールはハードコアのサーフショップには馴染んでも、Saturdays Surfには相応しくない。
2011FWコレクションはサーフウエアからメンズウエアへのシフトが濃厚に現れた。ボードやウエットスーツのようなイキップメントプロダクトだけでなく、スリムフィットのセーターや、ショールカラーの「Baracuda」風アウターウエア、グルーミングプロダクトも取り込まれている。
彼らにはもともとメンズウエアとしてのサーフウエアというスタンスがあった。彼らが目指しているのは、ビーチでリフレッシュした男達というターゲットイメージなのである。Saturdays Surfはビーチスタイルのメンズショップである。日本にはそういうサーフショップはほとんど存在しない。

2011年10月7日金曜日

A Tribute to Steve Jobs



Great tribute to one of the most incredible people of the world.

アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長(56歳)が10月5日、死去した。偉大な経営者、アーチスト、マーケッターにトリビュートを捧げ、彼が我々に遺してくれたマーケティングに関わる教訓を3つお届けします。
1の教訓は「American Sports Style」に示しました。第2の教訓はブログ「Action Sports Style」に、第3の教訓は「Monday Night Sports Club」に掲載していますのでご覧下さい。

Apple Store : Degital Boutique

スティーブ・ジョブズはプロダクト開発で、天才的なプロデューサー能力を発揮した。しかし販売面でも、IT産業の経営者の誰も考えつかなかった斬新な手法を開発した。それまでコンピューター販売で最も成功したビジネスモデルは、デルが確立したインターネット利用のウエッブ販売だった。ところがジョブズは2001年に「アップルストア」を開発し、ルイ・ヴィトンやアルマーニみたいにコンピューターをブティックで売り始めたのである。
出店ロケーションもビジネス街や郊外のモールではなく、ニューヨ−クはソーホーと五番街、さらにはMPDMeat Packing District)で販売した。ロサンゼルスでは最新型のライフスタイセンター「The Grove」に出店した。シカゴはノースミシガン・アベニュー、テキサス州オースチンはバートン・クリーク・モールに出店した。海外第1号店はロンドンのウエストエンドで、日本は2004年に銀座にオープンした。
PCを店頭で販売するアイディアは別に目新しいものではない。ラジオシャックだってやっているし、ウエッブ販売トップの「デル」だって、モールキヨスクを展開している。ソニーもコンピュータ販売ではモールフォーマットを展開した。PC専業のゲートウエイも、アップルを意識してモールフォーマットを多数展開している。しかし、どの企業もアップルのような成功を収めることができなかった。
アップルと他のPC販売企業の違いはインテリアや、ディスカウント方式、製品モデルの性能やデザインにあるのではない。アップルが他社と決定的に違うのは、コンピューターをTシャツのように売ったことにある。iPodsは購入客にとって、グッチやディオールのアクセサリーより、もっとファッショナブルなアクセサリーと受け止められたのである。

Genius Bar and Resident Technician

アップルショップ成功の要因の一つは、「Genius Bar」(相談カウンター)の存在だった。そこには「Geneuses」と呼ばれるレジデントテクニシャン(駐在技術者)がいる。彼等はジーニアス・バーにスタンバイしていて、アップルに関することには何でも答えることができる。
レジデントテクニシャンはアップルの潜在客、コアカスタマーのいずれにも対応して、PCに全く初心者でも顧客に育成する役割を担っている。通常アメリカのPC販売店では、PC販売時点でアフターサービス契約として50ドル前後の費用を徴収する。アップルも最近では同様のシステムを採用しているが、当初の「Geniuses」は相談しても無料だった。「Geniuses」は、アップルにとってはサービスマンではなく、スポークスマンなのである。デルやゲートウエイが、サービスをコストと考えているのに対して、アップルはサービスをプロモーションと考えているところが決定的に違った。

2011年9月26日月曜日

Back to the Beach

New California Style
Salvation Malibu, Nike+Converse+Hurley store

カリフォルニアビーチが騒がしくなってきた。ナイキが 7月 にマリブー(ランバーヤード)でオープニングパーティを開いたと思ったら、同じ日にクイックシルバーはファッションアイランド(ニューポートビーチ)におじさん達を集めてレセプションを開催した。
クイックシルバーは9月にアボットキニー(ロサンゼルス)でもビーチパーティを開催すると言っていたが、予定が大幅に遅れている。
いっぽうマリブーのランバーヤードは最近人気スポットになっていて、8月にはビーチバニー(本社:カリフォルニア州ニューポートビーチ)もパーティを開いている。

Surfer go to New York
Quilsilver Times Square store, New York

カリフォルニアのブランドはもともとはビーチから生まれたにもかかわらず、この10年間、都会ばかりみて過ごしてきた。そのきっかけになったのはクイックシルバーが1998年に出店したSOHOストアだった。サーフショップが大都会のど真ん中にオープンするようになったのはそれ以降の事で、もともとはビーチにしかなかったのである。Harbour Surf(シールビーチ)もJacks(ハンチントンビーチ)も、そしてBunger(ロングアイランド)も、老舗のサーフショップはみんなビーチロケーションである。
過去10年間、都心型サーフフォーマットのリーディングチェーンになったのはクイックシルバーで、都心で成功した事がトップブランドへの原動力になった。しかしPacSun、アバクロンビー&フィッチ、アメリカンイーグル・アウトフィッターズなど、ユース・ライフスタイルチェーンが揃ってサーフスタイルに参入して来ると、サーフィンブランドの優位性は急速に消滅した。都心進出でリーディングブランドになったクイックシルバーが、有力サーフィンブランドで最悪の業績なのは皮肉としか言いようがない。

Back to the Basic
Salvation store, Nike + Converse + Hurley store

都心中心に出店してきたカリフォルニアブランドは、ようやく置かれているリスキーなポジションに気付いたようだ。ナイキは201177日、「Salvation」(4,000f2)をマリブー(カリフォルニア州ロサンゼルス)のネイバーフッドモール「ランバーヤード」に出店した。ラグナビーチ、アーバインに続く第3号店である。もちろん、傘下のハーリー、コンバースとのコラボレーションストアだ。
同じ77日、クイックシルバーは初のオールドサーファー向け業態「Waterman」をファッションアイランド(カリフォルニア州ニューポートビーチ)にオープンした。同モールはサザンカリフォルニア有数のアップスケールモールで、熟年サーファー向け業態のパイロットショップに適切と考えたらしい。年寄りはいくつになってもまだまだ若いと思っているから、スティーブ(Steve Willson : GM)の思惑はちょっと安易と思うが、狙いは理解できる。
マリブーのランバーヤードでは818日にビーチバニーが新店をオープンした。ウイメンズスイムスーツの有力ブランドで、パーティにはミスカリフォルニアも出演した。もちろん申し上げるまでもありませんが、ビキニのバニーちゃんも登場しました。
カリフォルニアスタイルは過去10年間、都心型アクティブスタイルのトップアイコンになった。アグやフリップフロップ、そしてホリスターは都心だからこそ成功したのである。
しかし、2011年に登場しつつある最新型アクションスポーツスタイルは、いずれもビーチロケーションなのがわかる。カリフォルニアスタイルは新しい時代が始まっているのである。http://www.harboursurfboards.com/

2011年9月12日月曜日

From Extreme to Mainstream

Quiksilver Pro New York
Quiksilver Pro New York
Quiksilver Pro New YorkASP World Tour)が949日ロングビーチ(ニューヨーク)で開催され、オウエン・ライト(21歳:オーストラリア)が優勝した。クイックシルバー・プロ・グローバルシリーズはASPタイトルレースとしてゴールドコースト(2月)、フランス(10月)で開催されてきたが、今回は初の試みとしてニューヨークでも開催された。同時開催でトニー・ホークも出演したスケートボードイベント、ライブコンサートも開催された。
ASPのタイトルレースは2月末のゴールドコースト(オーストラリア)を皮切りに、年間11回開催される。これまではオーストラリア、ポルトガル、フランス、南アフリカ、ポリネシアで行われてきた。
コンテスト開催地と時期は最良のウエーブコンディションを検討して決定されるが、スポンサーあってのプロツアーという側面を無視するわけにはいかない。米国東海岸で開催されたのは今回が初めてであるが、開催は当然サーフィン市場低迷脱皮が狙いである。ロングアイランドのロングビーチは東海岸サーフポイントの一つで、サーフィン不毛地帯だったニューヨークも、最近はサーファー増加が注目されるようになった。ロングアイランドはロッカウエイやディッチプレーンズも好ポイントとして知られているが、アクセスと観客収容キャパシティから検討するとロングビーチが最良の選択だった。

Up in the Mainstream
Quiksilver Showcase on the site of contest.
ナイキグループが冠スポンサーになっているUS Open Pro SurfingHuntingtopn Beach, CA8月開催)は、ASPのプレミアムイベントだが、1週間で50万人を吸引するから、宣伝効果は抜群である。しかしASPツアーの大半のサイトは、ハンチントンビーチのように大観客を集めるという好条件のところではない。ノースショア(ハワイ)のように著名な観光地になってしまえば多少の観客は集まるが、今年のポリネシア地域開催地チョープー(タヒチ)になるとウエストコーストからでも9時間、ニューヨ−クからだと14時間はかかる。
ASP(主催側)とクイックシルバーが今回の大会開催で合意したのは、ニューヨークをハンチントンビーチのようなプレミアムイベントに育成するのが狙いなのはいうまでもない。すでにタイトルレース4サイトを確保しているビラボーンにしても、ナイキやリップカールにしても、ニューヨーク大会スポンサードは積極検討に値するだろう。開催スケジュールを9.11直前に持ってきたのも、見ようによっては微妙な決断だったと言えなくもない。
サーフィンがアウトローの遊びだった時代は90年代で終わった。サーフィンビジネスがニッチだった時代は00年代に終了している。サーフィンはエクストリーからメインストリームにテイクオフする時代に入った。だからこそ、一般客を大量動員できそうなニューヨークが選ばれたのである。今のところはタイトルレースにとどまっているが、客を呼べそうだったら、プレミアムイベントに切り替えようと思っているのは言うまでもない。今回の結果は、第1回としてはまあまあだった。ニューヨークが、ハンチントンビーチのようなサーフィンのメッカになるのはほぼ間違いないだろう。

2011年9月6日火曜日

PPR to acquire US action brand Volcom

PPRはなぜVolcomを買収したか

Francois Pinault,CEO of PPR and his wife.
PPRグループ(本社:パリ、フランソワ H.ピノー会長)は52日、ヴォルコムを買収すると発表した。PPRはグッチ、ボッテガ・ヴェネタ、イヴ・サンローラン、バレンシアガなどを保有する高級ブランド。いっぽうヴォルコムは業績はまあまあだが、一癖も二癖もあるアクションスポーツのハードコアブランド(だった)である。
アメリカのマスファッションブランドがスケートボードシューズブランドやアウトドアウエアブランドを買うのなら過去に多々例はある。しかしPPRはすでにスポーツシューズのプーマを保有しているとはいえ、グッチグループを保有するれっきとした高級ブランド・メガグループである。VFコーポレーション(本社:ノースカロライナ州グリーンズボロー)やジョンズグループ(本社:ニューヨーク)などとは格が違う。総額51,610万ドル(124.5ドル)の買物は
メガグループにとって高い買い物ではなかったかもしれないが、一足跳びにアクションスポーツブランドに食指を動かすとは、大方の予想しなかった行動だった。

Volcom Style
Volcom Store

PPR2007年にプーマを買収したが、その後は目立った買収行動をとっていない。プーマ買収で手に入れたトレトン(フットウエア)、2010年に買収したコブラゴルフ、ウイルダネスホールディングス(エコツーリスム)、ドボテックス(ソックス)も保有している。しかし、どう見てもこれではPPRのライフスタイルグループにふさわしい陣容とは言えない。
かたやヴォルコムは売上高3億ドルを超えるアクションスポーツウエアの中堅ブランドである。プロダクト部門以外にフィルム&ブック事業部門も保有し、ビデオパッケージも商品として販売している。サーフウェアの評価も高く、プーマの狙いにぴったりのブランドである。昔はトンガってたブランドだが、長い年月が経てばやっぱり普通のブランドになってくる。最近ではプレッピー風のクリーンカットになって、東部のティーンエイジャーが着ていても親がうるさく言わなくなった。

Teen Luxury Brands
Jochan Zeitz, right, chairman of Puma

PPRの買収目的はプーマを核にしたライフスタイルグループ拡大強化なのは間違いない。問題はどの分野を、どのように拡大するかだ。
プーマはアスレチック、フィットネス、アクティブファッションでは評価が高いが、ナイキやアディダスと同様、アクションスポーツでブランド評価を高めることができなかった。今後のアメリカでは中高校生のファッション市場がいちばん有望と見られているから、彼らに強いアクションスポーツブランドはどのブランものどから手が出るくらい欲しい。PPRとしては、ぜひともプーマがヴォルコムを育成して、アクションスポーツ分野を拡大強化してもらいたかったのである。
日本のアクションスポーツはいまでもサーフィン、スケート、スノーボードのいずれも、ハードコア優位時代が続いている。アメリカではすでに10年前にその時代は終わった。「ビバリーヒルズ青春白書」(1991-99)から「OC」(2003-07)、そして時代は「Gossip Girl」(2007-present)まで進んだ。ネットワークが放映した上掲の3シリーズを見れば、PPRなぜヴォルコムを欲しがるのか納得できる。
時代は常に、新しいものに背を向けてきた企業を置き去りにしてきた。日本のアクションスポーツ業界は、世界の変化をもっと注視すべき時期に来ている。前門のナイキ、後門のPPR。今、アクションスポーツ市場は消滅の危機に立たされている。